氷河期世代がブラック企業でアーリーリタイアに挑む

氷河期世代の42歳。血を吐く思いで貯金してアーリーリタイアするのが目標です。蓄財方針は専守防衛。

(昭和末期~平成初期)氷河期世代の幼少期あるある6選

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主に氷河期世代が小学生〜高校生の頃(昭和の末期から平成の初期)はどんな時代だったのかを、1977年生まれの筆者が記憶を辿りながら独断と偏見を交えつつまとめてみました。(ローカルルールが混じっていたらご容赦ください・・・)

 

目次

1.少年ジャンプがやたら売れていた

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この世代はドラゴンボールをリアルタイムで毎週ジャンプで読んでいた世代です。ジャンプの黄金期でもあり、周りの人は僕も含めほとんどの人は毎週月曜日に走ってジャンプを買いに行ったものです。

うちの地域だけだかわからないのですが、本来の発売日は月曜日であるにもかかわらず、ルールを破ってこっそり日曜日夜に売っている本屋などもありましたね。

その裏切り本屋さんにコネのある友達は1日早く内容を知っているわけです。日曜の夜ぐらいに「明日ヤムチャが爆発して死ぬで」等、自慢げにジャンプの予言してくる友人などもいました。

  

2.やたらとカツアゲされた

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当時はまだ不良と呼ばれる人たちがたくさんいました。不良のファッションは短ランと呼ばれる制服を短かめに改造したものとか、ボンタンと呼ばれるなんか鳶職の服に似た形のズボンを履いていましたね。他にも色んなバリエーションがあります。

中途半端な裏ボタンというのもありました。これは比較的真面目な生徒がやる行為で、制服のボタンを留める裏側の留め具だけを「堕天使」とか書いたものに入れ替えるというしろものです。5個1組で「爆」「走」「堕」「天」「使」みたいになっているものもありました。

ようは見えないところだけをやるわけですね。でも見つかりたくないなら最初からやるなよ!という理屈は通用しない。ただやりたいだけだから。なおわが校では「裏ボタン検査」というカウンターもありました。

 

さてカツアゲの話題ですが、古くはドラクエ狩り、比較的新しいものではエアマックス狩りなど、高額で売れそうなゲームソフトやファッションアイテムを不良が暴力で強奪する事件が多発していました。

筆者はドラクエ狩りもエアマックス狩りもされた事はありませんが、金銭はやたらとカツアゲされました。多分5回くらいやられたんじゃないかと...。

 

あれは筆者が中学生、1992年頃のこと。

始めて近所のショッピングセンターでカツアゲされました。ここは当時も結構寂れていてあちこちに暗い場所があり、常時数人の不良が結構たむろしているんです。なるべくそこは避けて通っていたんですが、ある日どうしても通らざるをえなくて近くに行ったら・・案の定不良に遭遇。

 

不良「ねえ。お金貸してよ。」

僕「え・・ないです・・」

不良「財布。(僕のズボンに手を突っ込む)」

 

あっという間に財布を強奪され、900円とお気に入りのテレホンカードを取られました。しかしこのテレホンカードだけは絶対に奪われるわけにはいかなかったので、

 

「親に電話して車で迎えに来てもらわなきゃ帰れない。お金は渡すからテレホンカードだけは返してください」

 

とウソをつきました。

 

不良は僕に10円玉を返してくれました。

本当に血も涙もなかったですね。

  

3.やたらと空き地に変な本が落ちていた

 

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当時はナントカTubeとかナントカHubのような大人用サイトはおろかインターネットもない時代。当然にして女の人のいろんな写真が載っている変な本の需要は非常に高かったわけです。

 

友達同士で貸し借りをしている風景はよく見られましたが、プライドの高い僕はそういう話を友達とオープンにすることができませんでした。「おれ、女に興味ねーし」みたいな。その中途半端なプライドのせいで校内の変な本交換カルテルに参加することができなかったのです。

 

そんな僕の希望になるのが空き地でした。当時の空き地や山には不要になった変な本がたくさん落ちていたのです。

 

おそらく誰かが「親が部屋を掃除するから」とか、「隠し場所がいっぱいになってしまった」といった理由で、緊急に空き地に捨てられたものだったんだと思います。家のゴミ箱には捨てられませんからね。

 

見つけた本は全て雨に濡れて変色し、パリパリになっておりました。それでも僕は必死にかき集めて木陰に隠れて選別して素早くカバンに入れてダッシュで家に帰るんです。軽やかに自転車をこぐ少年の顔は、その日の空のように晴れやかでした。

 

変な本スカベンジャーの筆者にも不要になる日がやってきます。その時は同じ空き地に捨てていました。そして数日するとなくなります。

 

そう、地域で変な本3R(*)が確立していたわけです。

*Reduce(リデュース)、Reuse(リユース)、Recycle(リサイクル)の3つのRの総称。

 

インターネットなんてなくても、変な本校内カルテルや変な本3Rで非常に効率的に資源が分配されていたんですね。

  

4.学校での体罰は日常風景

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最近は少し子供の頭を叩いただけで大問題になりますが、当時は普通に体罰がありました

ちょっと忘れ物した位でも、ボコボコにされるわけです。思いっきりビンタをされたり、ひどい時は床に押し倒されてグーでボコボコにされてることもありました。女教師でも普通に叩きまくっていましたが、今では信じられませんよね・・・。

 

まあ筆者はあまり悪いことをしたことがなかったのであまり体罰はされませんでしたが、小学校5年生の時の担任だけは別でした。

この先生はとにかく誰彼かまわず理由をつけて殴るんです。些細なことを口実に僕も頻繁にビンタされていました。

 

頭にきた僕と友達数人は、どこからか六法全書を手に入れて教師による体罰禁止の項目を探しました。それを見せればもうやらなくなるだろうと。

今のようにパソコンで検索できるわけでもなく、小学生にはあまりにも難しい作業でしたが・・ついにその項を見つけ、ある日六法全書を先生にを見せました。殴るのはそもそも法律違反だとはっきり書いてある、もう些細なことで殴るのはやめてくれと。

 

「私物を持ってくるな」

 

いきなり殴られました。「法律も知恵も知識も暴力の前では無力である」と言う平和教育のつもりだったのでしょうか。あの時代では法律よりも校則が優先するのです。

高杉先生今どうしてるかなあ。

 

5.学校の連絡網には全員の電話番号(家電)

 

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当時は個人情報保護と言う概念があまりありませんでした。家の電話以外に通信手段はなかったのでクラス全員の電話番号が配られていました。最近は前後の人しかわからないらしいですね。

あの連絡網や名簿を業者に売っている人もいたとかいなかったとか。みんなに嫌われてる生徒の家にはしょっちゅういたずら電話もかかっていたようです。

 

ところで僕は高校の時に一瞬だけ彼女がいたのですが、連絡は全てが家電だったので電話するときは大変です。

 

トゥルルル・・ 

僕「もしもし、田中みゆきさんおられますか」

みゆき「誰?」

僕「あ、あ、あ、あの、連絡網です」

 

のような感じとなり非常に気まずいわけです。

 

逆に家に彼女から電話がかかってくると家族が冷やかしてくるため、僕は耐えられなくなりこれが原因で別れ話を切りましてしまいました...

 

今は個人のスマホで好きなだけ通信できるってのが羨ましいところです。

 

6.未成年が普通に酒タバコ

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酒もタバコも普通に自動販売機で買えました。当時は不良がかっこいいと言う風潮もあり、隠れてタバコを吸っている中高生は多かったです。ろくでなしブルースとか。

大人はタバコはどこでも吸えましたね。病院の待合室、バスの中、学校でも全然吸っていました。

 

酒に対しても非常におおらか。

高校生の時の文化祭の打ち上げとかでは普通に居酒屋に行っていました。お正月なんかにはお父さんが子供にお屠蘇を飲ませるなんて風景もあったように思います。うちもそうでした。今では18歳を過ぎた大学生でもかなり厳しいみたいですね。

 

「お酒とタバコは20歳まで」とか言われてた時代が、筆者はちょっと懐かしく思います。

というかもう18歳からでよくないですか?選挙権も18歳になったし。

 

番外編:給食ではクジラ肉が出た(?)

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これは多分、氷河期世代よりも上の人がかなり懐かしがるネタだと思います。

1977年生まれの僕で本当にギリギリ。

小学1年生2年生位まで給食で鯨の肉が出ていました。氷河期後期の人は多分知らないでしょう。 

 

鯨の肉ってめちゃくちゃうまいんです。うちの小学校ではケチャップでぐちゃぐちゃにあえたようなクジラ肉がたまに出ていました。

お土産なんかでは今も鯨の肉があるみたいですが、割と高級品扱いされています。でも昔はすごく安い肉だったらしいですね。

関係ないですが超貧乏だったうちの親父(1951生)が子供の頃、あるとき親戚の家で牛肉を食べて「このクジラ美味い!」と言って周りを泣かせたとか言ってました。

 

あー

欧米の文句によって絶対に復活することのないクジラ給食。

もう一度ケチャップクジラ食べたいです。

 

 

以上、いかがでしたか。

令和の現代では信じられないようなこと、不便なこともありましたが、まああの頃はあの頃で楽しかったなと思います。

 

それでは、また。

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